十二月六日(土)辛亥(舊十月十五日・望 晴れ

 

「中仙道を歩く(二十一)」が書き終はりました。夜までに讀み返して修正し、萬人用ワード版『中仙道を歩く(二十一)』をメールに添付してお送りしました。今回は、四十八名の方でした。

 

また、午後、はじめて「寫經」なるものをしてきました。弓道の齋藤さんと待ち合はせて、北綾瀬驛に近い日蓮宗のお寺に行つたのです。さうしたら、まああとで考へたら當たり前のことなんですが、「法華經」の寫經でした! ぼくは、何となく、寫經といふと、「般若心經」だと思つてゐたものですから、ちよいと戸惑ひましたが、この際、宗派は問はないことにしました。參加は、ぼくと齋藤さんだけが男性で、あとはご婦人が五人でした。

筆遣ひが學べたらいいかなと思つて參加したんですが、お坊さんつたら、何も敎へてはくれず、用紙をいただいて、ただ黙々と寫しました。でも、不思議なことに、自然と筆がついていくといつた氣持ちになりました。 

でも、制限時間は二時間。他のみなさんが指定された分の寫經が終はつたのに、ぼくはだいぶ殘つてしまひました。要するに遅いのです。さういへば、ぼくの父もバカがつくくらゐ丁寧にゆつくりと書いてゐたのを思ひ出しました。かういふのも遺傳するするのでせうかね?

 

今日の寫眞・・寫經の樣子。それと、ぼくが寫經したもの(二枚重ねの下はお手本です)。そして、歸り際に見せてくれた、王羲之筆の拓本。三藏法師の記念碑に寄せられた文のやうですが、中國で實際に拓本したものださうです。

けふは舊十五日。今晩九時二十七分が滿月なんです。うまくピントが合はず、これは三十一分に撮れた寫眞です。

 



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