十一月廿日(木)乙未(舊閏九月廿八日) 曇り、後雨

 

終日讀書。堀田善衞さんの『定家明月記私抄』を讀み終へました。いやあ、のめり込みましたね。當時の宮廷生活をのぞき見るやうな感じでした。ちよつと、愕然といたしました。宮廷生活の亂脈ぶりをです。

例へば、後鳥羽上皇のハチャメチャな生活、亂痴氣騒ぎなんて日常茶飯事。遊興に憑かれたかのやうに、競馬、相撲、蹴鞠、闘鶏、囲碁、双六に没頭し、眞面目な鎌倉武士のありかたに對抗でもしたんでせうか、女性關係はでたらめ、「遊女や舞女、白拍子などを引き入れたり、向うから押しかけて来たりで、・・女の数も生れた子供の数もとても数えきれぬ有様である。そこへもつてきて男色までが加わり、・・。如何に天皇だ上皇だといっても、これはアンマリだと怒り出される読者があるかもしれないが、天皇の性行為は皇嗣をうるための公事、すなわち国事行為なのである」。

つまり、後鳥羽上皇は、ホモ・ルーデンス(遊戯人間)の典型的存在だつたやうなのであります。やがて、詩歌に興味が移ると、これまた専門職者たる、定家さんらを困らせるほど歌會を開き、その結果、『新古今集』が生まれたのですから、何が幸ひするかわかりません。

定家さんは、宮廷歌人、といふより、職業歌人、否、宮廷官僚として翻弄される日々を強ひられ、その生活の、また惨憺たるさま、とてもとても、今日イメージするやうな歌人定家さんを想像もできません。續編が待つてゐますので、このへんで失禮します。

 

今日の寫眞・・藤原定家と後鳥羽上皇の畫像。

 


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