九月廿四日(水)戊戌(舊九月朔日・朔) 曇天

 

今日は「中仙道を歩く」第十九回の二日目。まづ、天氣豫報に反して雨に降られずに濟んだことを記しておきたいと思ひます。

昨日のゴールから出發、そば畑の遠くまで見晴らしの良い舊道をたどります。今日はただ下るのみ、氣持ちまで樂です。

いくつもの集落を通り抜けて鹽尻宿にやつて來ました。屋根の上の雀踊り(雀おどしとも言ふ)のついた素晴らしい本陣や舊家が點在してゐます。阿霊神社では、京都から中仙道をくだつてこられた同じトラベル日本のグループとすれ違ひました。大阪の方々といふのですが、いや、そのパワフルなこと、壓倒されるやうでした。おばちやんパワーですかね!

平出一里塚も平出遺跡もよかつたです。このあたりは桔梗が原といつて、かつては合戰場でもあつた、荒涼とした土地でしたが、現在は葡萄畑になつてゐます。直賣店ではみなさん美味しさうな葡萄を競つて買ひ求めておられました。お晝ご飯はバスで移動し、道の驛小坂田公園のレストラン茜で、そばと山賊燒といふのをいただきました。 

 

晝食後、再びもとにもどつて出發。國道19號線に沿つて走りさる中央本線の列車を時おりながめながら、「細川幽齋肘懸松」を確認。ここで、一言言ひたいところをぐつと我慢して先に進みました。次は、洗馬宿の追分。中仙道と北國街道との分岐點である追分宿の追分と双璧をなすものですね。ちなみに、ここから分かれる街道は、松尾芭蕉が京都から木曾路を經て、長野善光寺へ向かつた『更科紀行』で通つた北國西街道です。

「太田の淸水」は殘念ながらパス。「洗馬の西に、『太田の淸水』とて水あり。木曾義仲の馬をあらひし所なり。故、洗馬と名づくと云」(『東路記』)といふ名所なんですがね。

また、明治天皇御駐輦碑、芭蕉句碑、そして、牧野の一里塚を經て、本日のゴール、牧野交差點に無事到着いたしました。二一四〇〇歩、約一二・五キロでした。いよいよ左右から山が迫つてきた場所、木曾谷への入口です。

三十分足らずでホテルに歸り、すぐ風呂に入れたのはうれしいですね。夕食も、昨日よりは多少まし。でも、ぼくは特別に馬刺しを注文してしまひました。みなさんは、泊りに入つてからは急に親しさが增したやうで、お話しにはなを咲かせてをられました。

さう、ぼくは今日はとくに膝が痛みだし、だいぶ辛かつたのですが、風呂に入れましたし、ふくらはぎと膝のお皿をよく揉みほぐし、さらに指壓を加へたらだいぶよくなりました。とくに、膝の裏側の指壓は、とても痛みましたが、よく効きました。 

 

今日の寫眞:①「牛馬守護神」。前回、馬頭觀音ならぬ、牛頭觀音はないのかと疑問がうかびましたが、ありましたね! ②鹽尻宿への下り坂。③トラベル日本、大阪グループとすれ違ひ。④屋根に見えるは、「雀踊り」と呼ばれる棟飾り。⑤中央本線の列車。洗馬宿の追分。右がぼくたちがやつてきた中仙道、左が善光寺へ向かふ北國西街道。⑦木曾谷への入口、牧野交差點。⑧囚人服に着替へさせられて、夕食の乾杯! 

 

補足:今日の日記も、出先からの携帶電話メールを起こしたものです。

 





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