九月廿二日(月)丙申(舊八月廿九日) 晴れ、夜にはいつて雨

 

今朝は早起きしました。明日の出發になれておくためにでしたが、その後また寝てしまつたので、何にもなりませんでした。けれど、ちやうど目覺めたときに、久しぶりに、葛飾FMを聞くことができました。

《音樂の回廊》では、「淺草寺」、「大阪の女」、「夜明けの歌」、それに「木綿のハンカチーフ」などを聞いた後、續いて、《論語の時間》がありました。ところが、いつのまにか擔當者が變はつてしまひ、あのハスキーな女性の聲が聞けないのが殘念でした。

ところで、その内容ですが、「子曰はく、詩に興こり、禮に立ち、樂になる」(「子曰、興於詩、立於禮、成於樂」)でした。これは岩波文庫のままですが、その他、講談社文庫はだいぶもつて回つた言ひ方で、やはり共感したのが、魚返善雄先生の譯でした。曰く、「詩に心いさみ、規律のなかに生き、音楽に高められる」、です。ぼくは、音樂は聞くだけなんですが、人間としての完成には音樂は缺かせないことがわかります。

それと、これに續く項をみてドキッとしてしまひました。「子曰はく、民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可からず」(「子曰、民可使由之、不可使知之」)ですよ。ぼくは、これを、無知な民衆を従順にして支配するための、愚民政策を行なふ言葉だと思つてゐましたけれど、違ふやうなんです。『論語』の時代の本來の意味は、知識人である施政者は、無知文盲な民に對して人間性に添つた政策を行なふべきであるといふんです。まあ、ぼくの解釋は眞逆でした。同じ樣に、今の施政者は、本來の意味のやうには思つてないと思ひますね! 

 

今日も、明日に迫つた「中仙道を歩く」の豫習をおこなひました。そうしたら、洗馬(せば)宿追分の手前に、「細川幽齋肱懸松」といふのがあるんです。細川幽齋が旅の途中、この松の木に肱をあてて月をながめたといふ傳説の松の木なんですつて! 幽齋は、安土桃山時代の武將で歌人だつたんでせう、どうしてこんなところにやつて來たんでせうか。そもそも、あの細川ガラシャ夫人の夫となる細川忠興の父親なんですよね。

そこで、書庫を探したら、見つかりました。桑田忠親著『細川幽齋』(旺文社文庫)です。ふと氣になつて求めておいたものがまた役立ちさうです。それと、先日注文した、上田秋成の『世間妾形氣』(和泉書院)がもう屆きました。もちろん影印本ですが、たつた二百八十三圓だつたんです。ラッキー。

かうしてみると、ぼくの勉強の仕方は、必要な本を探すばかりではなく、目についた本をあれこれ手に入れておいて、それが必要になるやうな勉強をしてゆくといふ方法のやうです。もちろん、陽の目を見ないで埋もれる本が大部分なんですけれど・・・。 

 

明日の準備として、身支度も忘れてはなりません。泊りですから、それなりのバッグを用意しましたが、歩く時には、背負ふリックはやめにして、いつも街歩きに使用してゐる肩かけ用の小さなバッグにしました。必要なものがすぐ出せるし、背に圧迫感がないのがなによりいいです。でも、臺風が心配です。少々の雨だけならがまんしますけれど、雨風が吹き荒れるのは避けたいですね。 

 

今日の寫眞:明後日訪ねる、「細川幽齋肱懸松」。その古い寫眞と最近の姿。ネットからお借りしました。それと、上田秋成の『世間妾形氣』と桑田忠親著『細川幽齋』です。

 


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