九月廿日(土)甲午(舊八月廿七日) 曇天、一時雨

 

昨日は途中になつてしまひました。本居宣長を批判し、論争した上田秋成についてでした。この論爭は、『呵刈葭(かがいか)』といふ宣長さんの書に詳しいのですが、幸ひ、昨日出してきた、『增補 本居宣長全集 第六』の中に入つてゐたので讀んでみました。ただ、「ん」の發音についての音韻に關する議論は飛ばして、神話觀をめぐる論爭に目を向けたいと思ひます。

ぼくは、これもはじめて知つたのですが、宣長さん、すごいこと言つてゐるんですね。『呵刈葭』から、飛び飛びの言葉ですが、まづ讀んでください。すらつと理解できる文ではないですけれど、どうにか讀めたところを、つなぎ合はせてみました。

「皇國の萬國にすぐれて尊き事はいちじるし」、「太古の傳説各國にこれ有といへども、外國の傳説は正しからず。・・・然るにわが皇國の古傳説は、諸の外國の如き比類にあらず、眞實の正傳にして、今日世界人間のありさま、一一神代の趣に符号して妙なるといふべからず」、「いかほど廣大なる國にても、下國は下國なり、狹小にても上國は上國也」、「とかくに皇國を萬國の上に置カむ」。 

 

これに反論したのが秋成さんです。

「地球之圖といふ物を閲(み)るに、吾皇國は何所のほどと見あらはすれば、たゞ心ひろき池の面に、ささやかなる一葉を散しかけたる如き小島なりけり、然るを異國の人に對して、此小島こそ万邦に先達て開闢(ひらけ)たれ、又大世界を臨照まします日月は、こゝに現じましゝ本國也、因て万邦悉く吾國の恩光を被らぬはなし、故に貢を奉て朝し來れと敎ふとも一國も其言に服せぬのみならず、何を以て爾(しか)いふぞと不審せん」と、太陽と月の恩恵までも「吾國の恩光」だから、貢ぐのが當然であるなんて言つたら、どの國だつて「不審」と思ふだらうといふ主張です。當然、「文字の通はぬ國々にも、種々の靈異なる傳説ありて」、それを尊重すべきだらうといふのが、上田秋成の言ひ分です。 

 

いはば、本居宣長の皇國主義を批判したわけです。かういふと言ひ過ぎかなと思はれますが、宣長の、『馭戎慨言(ぎょしゅうがいげん)』(雄山閣文庫)はもつと過激です。この書は、古來からの我が國と中國朝鮮との交渉の歴史を詳述してゐるんですが、それによると、戎(えびす)を馭(ぎよ)する道、すなわち野蛮國である中國と朝鮮は、尊き皇國であるわが國に服從すべきであることを説いたものなんです。だいぶ驚きです。

秋成さん、言ひ足りなかつたんでせうか、『膽大小心』(岩波文庫)の中では、「此國には天が皇孫の御本國にて、日も月もこゝに生れたまふと云しなり(言ふ者がゐる)。是はよその国には承知すまじき事也。・・・やまとだましひと云事をとかくにいふよ(言ふ者がゐるよ)。どこの國でも其國のたましひが國の臭氣なり(獨自性ではないか)」と、痛烈ですね。 

 

んなことを言っても、よその國の人はだれも承知しないでせうにね。けれども笑つてすませられないのです。上田秋成さんの言ひ分のはうが、十分説得力があることはわかりきつたはなしなんですが、近世の國学は、宣長さんの説を「無前提」に正しいと思ひ、かつ展開していくんです。それが、「近代の天皇制イデオロギーにも注ぎ込んでいる」と、「古典研究と国学思想」を書いた桑原恵さんは結論してゐます。

昨日は、「平田篤胤の國學の流れこそ、尊王攘夷運動に強い影響を與へた」なんて言つてしまひましたが、實は、この本居宣長の説こそ、尊王攘夷運動を貫き、かつ、明治期の帝國主義的な我が國の對外政策に決定的な影響を及ぼしたのではないかと思はれます。いや、それにもまして問題だと思ふのは、朝鮮、中國、果ては東南アジアまで侵略した國家の暴走をとめるどころか、喝采をもつて迎へた國民の精神です。そこまで、國學が民衆に浸透してゐたんでせうか?

いい勉強させていただきました。 

 

今日の“早足”は、日中に行つてしまひました。ちようど妻も手があいたので、「行こうか」となつたわけです。その理由は、ぼくの携帶電話に、ストップウオッチとともに、カウントダウンタイマーといふのがあることがわかつたからなんです。試したかつたんです。三分たつと鳴るんです。いいですね。これは、即席ラーメンを作るときにも役立ちさうです。はい。 

 

今日の寫眞:上田秋成の坐像と、『馭戎慨言』・『膽大小心』。

 


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