九月十八日(木)壬辰(舊八月廿五日) 曇り、時々晴れ

 

今日は、朝から、母に言はれて、みかんの木を剪定しました。久しぶりに木にのぼつたので、氣持ちよかつたです。大きくなりつつあるみかんが、五十個ほどついてゐましたが、十個くらい間違つて切り落としてしまひ、そのたびに母からも妻からも指摘されました。いやあ、うるさいこと。がんばつたはいいんですが、今回はお小遣ひはもらへなささうです。はい。 

 

夕べ、書庫で、平田篤胤の本を探してみました。すると、すべて岩波文庫版の、『靈の眞柱』と『古史徴開題記』と『仙境異聞・勝五郎再生記聞』の三册が見つかりました。みな、古書店で、目についたときに求めておいた本です。

とくに、『靈の眞柱』は、靑山半藏が、「心のさみしい折には」讀んでゐたといふ本です。どういふことで慰めになつたのか、少しは知つておきたいですからね。ところが、なんだか、妙な挿繪まではいつてゐて、まともに讀もうと思つたらちんぷんかんぷんなんです。そこで、まづ、解説を讀みました。しかし、これも難解でした。 

 

そもそも國學なんていふと、ぼくはすぐ本居宣長を思ひ浮かべてしまひます。まあ、愛讀書の一册でもある、『うひ山ふみ』には、「道を學ばんと心ざすともがらは、第一に漢意(からごころ)、儒意を、淸く灌ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし」なんて言葉があるんです。細かい議論をはぶけば、國學とは、「やまと魂をかたくする」學問といつていいのだと思ひます。

『うひ山ふみ』をだしたついでに、ぼくが最も敎へられた言葉を引用します。「いづれの書をよむとても、初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず、まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと讀ては、又さきによみたる書へ立かへりつゝ、幾遍もよむうちには、始に聞えざりし事も、そろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也」。

どうです。ぼくなんか、この言葉の通りに、「これやかれや」と讀んできたおかげでせうか、この歳になつてやつと何かが「聞ゆるやうに」なつたきたかな、といつた鹽梅です。はい。 

 

ところで、國學といつても、平田篤胤は、賀茂真淵や本居宣長とは、何か一線を畫するところがあるやうで、それでよけいに難しさうなんです。それで、ぼくが理解したところでは、賀茂真淵や本居宣長が、文獻學的に完成をめざした學問であるのに對して、平田篤胤は、むしろ實的で、賀茂真淵や本居宣長が説いた學説を踏まへ、それを救論として體系づけようとしたみたいなんです。

「『靈の眞柱』の「霊の行方」をめぐる救済論的教説は既成の国学者たちに大きな思想的衝撃を与え、国学的教説の宗教化をもたらし、神道的救済論の形成への道を開いていった」。解説にあることばですが、これをどう理解したらいいのでせうか。

宗教の存在意義は人を救ふことをにあることは、ぼくが敢て言ふまでもありません。ところが、神道にはそれがないんです! 「日本人は、神道に対して、現状がそのまま無事に続いてくれることや、少し状態が改善されることを望みはするものの、今抱えている悩みや苦しみから根本的に救ってもらうことを望んだりはしない」、というふことなんでせう(島田裕巳著『神道はなぜ教えがないのか』)。

宣長さんに言はせれば、「人は死ねば善人も惡人も貴い人もしからざる人も、すべてきたないあしき黄泉の国に行かざるを得ない。安心などというものはない。ただ死はせんかたなく、悲しいものだ」なんて言つてゐるんです。 

 

それにたいして、死後の世界に積極的な關心を示したのが篤胤さんなんです。そして、「死後の世界が明確にされなければ、この世の生き方を確固としたものにすることができないと考えた」のです。なんだかキリスト教とも似た考へかたですが、その通り、篤胤さん、中國渡來のキリスト教關係の書物を何册も讀んでゐるんです。讀んだだけではなく、『本敎外編』といふ、いはば、讀んだキリスト教書の「読書ノート」ともいへる本を書いてゐるんです。いやあ、これは知らなかつたです。

ろくに原文を讀めないぼくが、あまり短絡的に言つてはいけませんが、「死後の世界が明確にされ」るんであれば、生き方が變はらざるを得ませんし、生きる力をも與へてくれるでせう。この敎へを學んでゐた靑山半藏が、木曾の山の中で、この書に慰められながらも、ぢりぢりした思ひでゐたこともわかるといふものです。

このやうに、篤胤さんの敎へは、倫理的にも、社會的にも、實を促す力を秘めてゐたんです。黑船に象徴される外國からの力に抗して、「やまと魂をかたくする」道を進み、それが尊王攘夷の思想となつて幕末維新に大きな影響を與へ、或はその原動力となつたといへるのではないでせうか。

國學といつても、契沖を創始者として、荷田春滿、賀茂眞淵を經て、本居宣長で大成されたといはれてゐますが、平田篤胤の國學の流れこそ、尊王攘夷運動に強い影響を與へたことを確認しておきたいと思ひます。とりわけ、相樂總三を忘れないでゐたいですね。 

 

それで、ちよつと餘談ですが、篤胤さん、死後の世界はどういふものか、貪欲な好奇心を持つてゐたので、「仙境(死後の世界)」を見てきたといふ少年をつかまへて、聞き書きをしてるんですね。それが、『仙境異聞・勝五郎再生記聞』です。驚くばかりです。これは面白さうですが、まだ讀む暇がありません。 

 

今晩は、“夜のピクニック”ではなく、“夜の早足”をやりました。昨日でしたか、NHKの《ためしてガッテン》で、「三分間早足」の効用を説明してゐて、それがよく効くらしいんです。早速やつてみました。スタートする場所をきめて、そこから〈三分間〉、どこまで行けるか樂しみにして歩きはじめました。けつこうあります。そこは、お花茶屋の町へのほぼ中間地點でした。

急ぎ足ですから、息がきれるかなと心配してゐましたが、いや、まつたく息が亂れません。心臟も順調です。早足のあとはしばらくゆつくりと歩き、それからまた、歸路、別の道を、同じ距離(=三分間)だけ早足しました。これはいいかも知れません。

どんな効用があるか、ちよいと忘れてしまひましたが、だらだら散歩するよりよりすぐれたエクササイズであることは間違ひないと思ひます。それと、歸宅後、めつたに飮まない牛乳まで飮んでしまひました。これがまた効き目を倍增するんださうです。 

 

今日の寫眞:庭のみかんの木。剪定途中と剪定後。

 


コメント: 0