九月十日(水)甲申(舊八月十七日) 晴れのち曇り、夕方雷雨

 

夕べ、奥齒が急に痛くなつたので、朝いちでかかりつけの醫院に電話したら、すぐ來なさいと言はれました。この齒は奥齒で、しかもブリッジの柱となつてゐた齒なんです。よくよく使ふ齒です。それが、レントゲンを撮つて見たら、何んと縦に割れてゐるといふのです。拔いてしまふしかありません。

しかし、さうなつたら、もうブリッジはできず、どうなつてしまふのだらう、と思ひましたが、いや、そんなことは後で考へればいいことで、まづは抜かなければなりません。麻酔を打ち、拔きはじめたはいいのですが、それが頑丈な齒でしたから、なかなかしぶといのです。これだけの根性があつたら、ぼくももう少しましな人生が送れたんではないかと思はれるくらゐ腰が座つてゐるんです。いやあ、痛いし、からだは強ばるし、まあ、長い時間苦しみました。

やつと拔けたら、みなバラバラ、三つに碎けてゐました。あとは血がとまるのを待つだけでしたが、これまた、ワーファリンを飮んでゐる身には辛いところで、噛んで出血を抑へてゐたガーゼを、何回取りかへても、とまらないのです。朝食を食べずに行つたのですが、歸宅後も食べられず、午前中は靜に横になつて血がとまるのを待ちました。

おかげで、出血がおさまり、晝食はどうにか食べることができました。それから、ちよつと氣はすすまなかつたんですが、弓道場へ行きました。宮司の坂本さんと約束してゐたからです。齋藤さんも、指導してくださつてゐる中辻先生も、それに川崎さんも來てをられました。そうしたら、坂本さんは、『葛飾の神社』といふ限定本と、『未来に続くいのちのために原発はいらない』(第五号)といふ册子をくださいました。また、手が器用な先生は、手作りの團扇をくださつたのです。

いやあ、ありがたいことです。見捨てられても仕方ない、不肖の弟子ですけれども、みなさん氣持ちよく迎へてくれて、また今度ね、と見送つてくださいました。 

 

あ、さう、「オトシブミ」が見つかりました。シャツの胸ポケットに入つてゐたんです。和田峠を越えて、少し下つたところにあつた、あの最高に美味しかつた「水呑み場」の近くで見つけたものです。歸宅後、シャツを洗つたはづですし、もうかれこれ二十日もたつのに、原形をとどめてゐました。

オトシブミは小さな甲蟲で、夏に、廣葉樹の葉に産卵して、それを丸めて、地上に落とすのです。これは、「落文の揺籃」と呼ばれるもので、中の蟲の幼蟲はくるまれた葉を食べて育つわけなんです。伊豆にゐたときにもよく見つけて、東京驛八重洲地下街にあつた、「おとしぶみ」といふ和菓子を賣つてゐたお店に持つて行つた覺えがあります。もちろん、ぼくと妻の好物で、よくそこで求めたので、店員さんとは顔見知りだつたからでありますです。はい。 

 

今日の寫眞:宮司さんにいただいた本。中辻先生お手製の團扇。それに、オトシブミ。だいぶ色があせてしまひました。長さは二センチほどです。成蟲が「落文」を作つてゐる寫眞は借り物です。

 



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