八月(葉月)廿一日(木)甲子(舊七月廿六日) 晴れ

 

今日は「中仙道を歩く」第十八回に參加しました。和田宿から、和田峠を越えて下諏訪宿までです。宿場間の距離は中仙道最長の二一・四五キロもあります。しかもその間には、やはり中仙道中一の髙さを誇る和田峠、一六〇〇メートルがひかへてゐます。ですから、やはな現代人のぼくたちは、そこを一泊二日で越さうといふのです。豫定では、峠をこえた西餅屋茶屋跡までが第一日目のコースです。

さて、上野驛前からバスに乘り、新宿經由で出發。上信越自動車道を通つて、和田宿の道の驛和田宿ステーションまでやつてきました。が、上信越自動車道を通つての行路は今回で最後になりました。次回、といふか、今回の歸りからは中央自動車道を通ることになるからです。

到着後すぐに道の驛で、食事をいただきました。が、ぼくはそのついでに、賣店で「黒耀石」を買ひました。採掘して賣つてゐる方が何人もをられるんですね。採掘に行く餘裕はないぼくは、今は、買ひ求めるしかありません。もちろんいつか必ず自分で採掘してみたいですがね。そんなことしてる間に、みなさん、峠越えに飢えてでもゐるかのやうにそはそはお待ちでありました。柔軟體操があり、飲み水を確認して、いよいよ出發です。

和田宿は、本陣のところで、標高八二五メートルあります。和田峠との差は、七七五メートルです。標高差は確かに碓氷峠よりはあるんですが、和田峠は、貝原益軒が「坂長し、東坂はやすらかにして、西坂はけはし」と言ふ通り、上りの道はたしかにゆるやかのやうなのです。だれもが、碓氷峠が超えられたのなら、和田峠は大丈夫ですよと言つてゐました。

けれども、歩きはじめて、いや、苦しい一日になるぞと豫感しました。雨かも知れないといふ豫報に逆らつて、空は靑く、日差しは前回にもまさる激しさなのでした。アスファルト舗装の道路はまるで熱された鐵板の上を歩くやうでした。ところどころであゆみ入る舊道のなんと涼しいことよ! 生きかへる思ひがしました。

また、今回の樂しみは、湧き水がいたる所にあつたことです。ぼくは一目散に驅け寄つて飮んでは顔や首の汗をぬぐつたりしました。ところが、みなさん、まるで關心がないやうで、ぼくもよせばいいのについ聲をかけて誘つたりしました。それに、今日は、ラムの忘れ形見の、散歩用の水飮みを持參したんです。ヒモで肩からぶる下げて、水を見つけると掬つて飮みました。いくつもあつた水場の中で、一番美味しい水は、峠を越えて下りはじめてすぐのところにある、「水飲み場」でした。甲斐さんと、一番はそこだねと相槌を打つたものでした。

いやいや、先走つてしまひましたが、距離が長いこと、宿場から峠の上まで、一八一四〇歩ありましたし、絶えず上り坂であつたこと、それに、ひとこと言はせてもらへば、休みと休みの間が長いので、疲れがたまりやすかつたから、でせうか、ほんとうに辛い峠越えでした。しかし、峠に立つたら吹つ飛んでしまひましたね。すばらしい眺めでした。ぼくが提案して、みなで記念写真を撮りました。

下りは一直線、四十五分でゴールでした。萬歳と心の中で叫んでしまひました。約一三キロ、二二三〇〇歩でした! バスの迎ひを待つて、下諏訪温泉、RAKO華之井ホテルに入り、温泉にはいれたまではよかつたのですが、案の定、疲れきつて夕食が食べられませんでした。 

 

今日の寫眞:①ラムの水飮み、②炎熱下の行進、③唐澤一里塚にて、④森の中の中仙道を黙々と行進、⑤和田峠から眺めた下諏訪方面、木曾の山々が迫る、⑥史策會の三人の記念寫眞、⑦峠から少し下つたところからの眺め。

 




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