八月十四日(木)丁巳(舊七月十九日) 曇天、のち雨降つたりやんだり

 

なんだかさつぱりしてしまつて、今日は、溜まつてゐた、といふか、積んであつた本の整理を行なひました。その時々、必要な本を出してきては積み重ねておくので、もう収拾がつかなかつたのです。しかし、書庫に運んだだけで、まだ整理には取りかかれません。一日では終りさうにはありませんね。 

 

さう、『勝海舟』を、忘れてゐたわけではありません。少しづつ讀み進んではゐるんです。今日讀んだところは、ちやうど坂本龍馬が暗殺される場面でした。そこが、子母澤寛の書き方がうまいところなんですが、勝海舟を主人公としてゐますから、龍馬の暗殺の樣子を、直接にではなく、知らせを持つてきた者から傳へられるといふやうにして描寫されてゐるんです。

それで、本書によれば、海舟には、「元の塾のもの達が、涙をぼろぼろこぼして、死骸の取片付けをやった有様が手に取るようによくわかった。」といふのですが、坂本龍馬とともにゐたのは、みんな、勝海舟の門人だつたんですね!

それと、坂本龍馬の、「よれよれの袴に小刀だけをさし左手を内ふところに、右手は外から懐中へ入れ、靴をはいて、卓へ倚りかかった立ち姿」の寫眞を見たことがあるでせうか? それは、大政奉還後の「天下の経済」を學びに行つた、越前は福井に「謹慎閉居の身」であつた三岡八郎といふ人物に、その別れ際に、「これは、京でうつしたおれの写真という奴だ。記念の為に、お前貰ってくれ」と言つてさし出された寫眞なんです。

まあ、詮索しても仕方ないことですけれども、さうだつたのかと、うなづかせるものは感じます。 

 

今日は、また、仕上げたての『歴史紀行』の二十五號から三十一號までをプリントして製本しました。一册づつくらい手もとにおいて見てゐたいですからね。 

 

今日の寫眞:昨夜のピクニックで見かけた掲示。東綾瀨小學校の正門の横の掲示板に張られてゐました。何ぜかドキッとしたので撮つてきました。

 

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