八月(葉月)一日(金)甲辰(旧七月六日) 晴れ、蒸し暑い、夜雷雨

 

暑いです。でも、糖分の攝りすぎなんでせうか、頭は動いてしまふので、しばらくは「武田信玄」を讀んでゐましたけれど、ふと、ワード版の「歴史紀行」を、そろそろ册子版(パワーポイント版)に作成し直さなければならないと思ひついたのです。

『歴史紀行二十四 中仙道を歩く(十二)』(松井田宿~坂本宿)までは册子版は作成濟みなんですが、以降、先日の「歴史紀行三十 中仙道を歩く(十七)」までの六册分がまだ手もつけてゐないんです。たまつてしまつたもんです。また、一歩一歩階段を上るしかありません。

それで、順番に、『歴史紀行二十五 東京散策紀行』から手がけることにしました。ところが、半年ぶりなもんですから、コピーしたり、編集したり、寫眞の配置などを考へ考へ、なんだかたいへん疲れてしまひました。 

 

今夜は、夜のピクニックとはいきませんでした。家の裏の、氷川神社を正面とする通りを、眞東に、お花茶屋まで歩いただけでした。お花茶屋公園で今日からお祭りをやつてゐるといふので出かけたのですが、人ごみに入るのはさけて、古本屋で一休み。

そこから、驛とは反對方向へ、共榮學園のわきを通り、突き當たつたところを左折しました。妻の實家は、共榮學園のすぐ裏なんですが、父母なき今は・・。まあ、そんなことは話題にもせずに進むと、上千葉小學校の前に出ました。妻が通つた學校です。さらに歩いてゐると、右手の空が一瞬にしてピカッと光つたのです。それが上から下へ、あたかもサンゴが開くやうに稻光かつたのには驚きました。こればかりは、しかし寫眞におさめられませんでした。

八時五分に家を出、歸宅したのは九時二五分。六一七〇歩でした。 

 

今日の寫眞:お花茶屋驛前通りの賑はひと妻が通つた上千葉小學校。

 


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