七月十五日(火)丁亥(舊六月十九日) 晴れ、むし暑い

今日、子母澤寛著『勝海舟 第三巻・長州征伐』(新潮文庫)がやつと讀み終はりました。それこそ、毎日こつこつ少しづつ讀み進んできました。内容的には、慶應二年(一八六六年)、勝海舟が、德川將軍家茂没後を繼いだ慶喜の命令で、幕府が「長州征伐」をやめるから、長州も矛を収めてほしいとの談判に臨み、どうやら成功したところまでです。

それにしても、勝海舟といふ人物はすごい人だと思ひます。幕臣でありながら幕府を批判し、その幕府を、でない、日本國を救ひ、獨立させるために、反幕府の薩長とのあひだに立つて、兩者の仲介をするんですね。それは、かつて、海軍養成所において、幕臣はもとより、諸藩から志ある人物を集め、敎へた弟子たちが各地に大勢ゐたからできたことなんです。

 

「それにしても幕府の仇(あだ)するような奴が、大小とも先生(勝海舟)の息のかかっているのが多いですね。坂本(龍馬)をはじめ土州の奴ら、薩州のもの、長州のもの」

「知らねえよ」と麟太郎はそっぽを向いて、

「おいらあね、幕府のためだの、薩州のためだの、長州のためだのと、蚤の睾丸を引っかくような奴あ嫌えだよ。杉、お前だってそうだろう」

「それあそうだ。要は日本国という大木に倚るべきですからね」

 

このやうに、海舟の眼は、「印度を御覧な、支那を御覧な、世界の大勢を達観せずに、国内が喧嘩をしていると、みんなあんな事になります。千歳に(のこ)すお笑い草でんしょう。ここんところで、あたしらが、本心に立ち返り、日本国の独立というものを考えなくちゃあ、飛んだ事になる」と、大きく見開かれてゐたのです。

 

ぼくは、以前、伴淳三郎の『伴淳のアジャパー人生』を手に入れた時、

「伴淳三郎はアジャパーな喜劇役者ですけれど、ぼくにとつては、『飢餓海峡』の弓坂刑事がすべてですね。殿山泰司、タイちやんにとつて、『裸の島』がさうであるやうに、この役のために選ばれたといふしかない當たり役ですね。どんな人にも、きつと、そんな當たり役といふか、ぴたりと、そのために選ばれたとしかいへない役回りがあるんではないでせうか」

と、偉さうなことを書きましたが、勝海舟はまさに當たり役を演じきつた、そのやうな人であつたと言へるでせう。つづいて、『勝海舟 第四巻・大政奉還』に入りました。

 

「中仙道紀行十五」執筆、相生の松のところから、鹽名田宿までどうにか進むことができました。來週に迫つた「中仙道第十七回 笠取峠~和田宿」までに、「中仙道紀行十六」を書きはじめたいと思ふのですが・・。

また、ネットで、『德川實紀』の索引(三冊)を注文しました。

 

今晩の“ラム追悼散歩”は、思ひ出の夜の散歩道を撮しながら歩いてみました。

 

今日の寫眞:ラムなき夜の散歩道。ラムが東京に來た當時は、東京スカイツリーはまだ建設なかばでした。それと、“めをと道祖神”ならぬ、影の夫婦。