七月十二日(土)甲申(舊六月十六日・望) 晴れのち曇り

日又家にて、四日目。午前中、「中仙道紀行十五」執筆。岩村田宿を出て、相生の松のところまでどうにか進むことができました。

そのうち、淸水嶋さんとお母さんがこられたので、お相手しました。お相手といふのは、淸水嶋さんのお話といふか、お喋りを丁寧にお聞きするといふことです。この拷問、もとへ、試練に耐へられる者だけが、お父さんのモツとピリ辛鶏肉と仙臺そばの三大料理がいただけるのだといふことを、ここで聲を大にして書き添へておきたいと思ひます。

さて、午前中で仕事が終はつたマリちやんに送つてもらつて、淸水驛一四時二四分發熱海行きの電車で、三泊四日の淸水とお別れ、再び修善寺に向ひました。

 

妻からメールが入り、馬橋の道子叔母さん(父の妹で、最後にのこつた一人)が具合惡くなり、病院へ行くか、救急車を呼ぶかで相談されてゐるといふ。

 

今日の寫眞:淸水嶋のお父さんの仙臺そば。これで、今回、お父さんの三大料理のすべてを堪能させていただきました。淸水嶋さんとお母さんと婿にあたる日又君。淸水驛にて電車到着。ラフォーレ修善寺にて、夕食時に、今日はじめて顔を見せた富士山。