七月十一日(金)癸未(舊六月十五日) 晴

日又家にて、三日目。懸念されてゐた臺風がそれて、晴れた朝を迎へました。マリちやんは出勤、聖実ちやんは登校、そのかはり、今日は日又君がお休みでつきあつてくれました。

ぼくは淸水に六年ゐましたが、はうばう出歩いたといふわけではありませんでした。ましてや四十年もたつてみれば、變り果てたとはいはないまでも、まるではじめて見るやうな景色です。特に、街中の變はりやうは激しいものがあります。でも、今日は、あへて、訪ねたことのなかつた、淸水と靜岡の境の山といふか峰を北上してみることにしました。

マリちやんの家のある押切は、淸水驛前からほぼ西へ一直線、新幹線と東名高速道路をくぐつた山の手に位置します。すぐ裏手は山で、屏風のやうに左右がおほはれてゐます。その西の山、つまり、淸水驛からマリちやんの家をむすぶ線の延長上にそびえる柏尾峠をはじめ、靜岡との市境、否、今や區境となつた山を越えてさらに北上しようといふのが、今日のドライブのプランでした。

柏尾峠なんてはじめて知りました。マリちやんの家からものの五分でそのふもとに到達し、日又君のジムニーのエンジン音も高らかにくねくねと上りはじめました。舗装されてゐるとはいへ、すれ違ふのも困難と思はれる道路を進みますと、しだいに視野が開け、峠につくと、それはそれは良い展望でした。淸水の町が一望、海には三保半島が、そしてはるかに伊豆半島も見えました。

その峠を越え、山の峰續きをいつたん南下したのでどうしたかなと思ひつつ、車からおりて坂道を上つて行くと、南北に連なる長尾の峰々の最南端だつたんですね。左は淸水、興津方面、右は靜岡から用宗、中央正面には、日本平の平坦な山が目の前に迫る絶景でした。そこは梶原山公園といひ、梶原景時終焉の地だつたんです。

記念碑には、「鎌倉本體の武士 梶原景時終焉之地」とありました。梶原景時は、源賴朝の家人でしたが、義經を讒訴(ざんそ)するなどして、あまり人氣のある武將ではありませんが、この地に追はれ、一族とともに討死した、その地であることを思ふと、歴史を感じざるをえませんでした。

靜岡側に下り、長尾川をさかのぼり、新東名高速道路をくぐり、さらに山間地に入り込んでいくと、行き止まりのやうにして、石の鳥居が立ちふさがりました。それは、龍爪山(りゆうそうざん)上に坐す、穂積神社への參道といふか、登り口でした。車では迂回路を通らなければなりませんでしたが、たいへん山深いにもかかはらず、道はきれいに舗装されてゐました。

龍爪山、聞いてはゐましたが、はじめてやつてきました。穂積神社も由緒ありげです。下の鳥居から登つてきた人に何人もお會ひしました。車は、さらに北に向ひ、林道を、黒川沿ひにくだり、興津川に合流する手前にある、“やませみの湯”に到着しました。ここで一風呂浴びるのもプランの一つだつたんです。無事についてよかつたです。いい湯でした。あとは、興津川に沿つてくだり、土、高山、そして昨日通つた吉原を經て歸宅することができました。

 

今日の寫眞:マリちやんの家から見た今朝の裏山。柏尾峠からみた淸水の町。梶原山公園から見た靜岡の町。梶原景時終焉之地碑にて。龍爪山、穂積神社にて。興津川上流、やませみの湯。