六月卅日(月)壬申(舊六月四日) 曇りのち晴れ

昨夜もまた、妻と二人で、ラムと散歩した道を歩きました。十時過ぎになつてしまひましたが、いつもより多く歩いてみました。

どちらからともなく、言葉になつて出てくるのは、ラムの思ひ出ばかりです。強烈だつた思ひ出の一つは、どこかに出歩いて歸つてきたときの、泥だらけの姿です。はじめはイノシシかと思つたくらゐに眞つ黑け! すぐ鎖につないで、ホースの水をかけて洗ひ落としましたが、忘れられない光景でした。きつと、タヌキやサルを追ひかけて沼にでも入つたんでせう。それが、三度あつたやうに記憶します!

我が家の飼犬になつてからも、しばらくはリードにつないだままでした。飼ひ方も育て方もまつたくわからないままに飼ひはじめたんです。それを、つながないでもどこにも行かずに、一緒に暮せるやうになるまでには、竝々ならぬ努力がいつたのです。

まづ、あれこれ飼ひ方の本を漁るやうにさがして讀みました。四、五十冊は讀んだと思ひます。その中でもよかつたのが、愛犬家の知人から薦められた、ビル・キャンベル著『愛犬のトラブル解決法』(新星出版社)でした。「愛犬をダメ犬にしない本」といふ副題が効いてゐますね。それと、共感をもつて讀んだのが、中野孝次著『ハラスのいた日々』です。これは、ラムがゐなくなつた今、もう一度、でない三回目になりますが、讀んでみたい本です。

そして忘れてはならないのが、波多野鷹著『犬と山暮らし』(中公文庫)です。山暮らしといふことは、つながないでもいいやうに、飼ひ育てるといふこと、つまり、「呼ばれたら戻る訓練」をすることなんです。これにぼくは勇気づけられました。簡単なやうですが、これはこちらの根氣と勇氣がためされる訓練なんです。

「どうやらこうやら、イヌが手元に来る。来たら譽める。撫で回す。そして、もう一度放す。これが大切なのだ。呼んでは放し、呼んでは放す」

どうです、一度、自分の犬を放してみますか? 勇氣がいりますよ。「どうやらこうやら」歸つてきてくれたら、ほんとうにほつとします。ぼくがどれだけラムを信賴してゐるか、まいど試されてゐるやうなもんでした。當初は、この繰り返しでした。

この本は、一九九八年六月六日に購入して讀んでゐますから、飼ひ始めてわづかのころです。それが、リードなしで飼へるやうになるまで、ですから、一年かもう少しかかつたと思ひます。この泥だらけ事件だつて、そのしつけの最中の出來事だつたわけです。

でも、ラムの場合は素地がよかつたと思ひます。まだ隣の家の飼犬だつたころから、綱を喰ひちぎつてぼくのところに遊びに來たくらゐですから、最初からどこかへ行つてしまふといふ恐れはなかつたんだらうと思ひます。それでも、我が家の飼犬になつたとたんにつないでしまつたのは、「犬はつないで飼ふもの」といふ社會通念に囚はれてゐたからでせうね。

今夜も、妻と散歩しました。何人かの顔見知りに會ひ、そのたびに「ワンちやんは?」と聞かれるのが辛かつたです。

 

もう、調子がだうのかうのと言つてゐられません。晝から弓道場へ行きました。齋藤さんと二人で、休み休みお稽古にはげみました。

 

今日の寫眞:泥だらけのラム、三態。