六月八日(日)庚戌(旧五月十一日) 雨、寒い

終日、横になつて、『おとこ鷹(下)』を読みました。しかし、どういふわけか、眠たくて眠たくてほとんど進みませんでした。不整脈がまた再発したなんて脅かされたもんですから、気力も沈んでゐるのかも知れません。

でも、どうにか、勝小吉、本名・勝左衛門太郎惟寅が亡くなつてしまつたところまできました。本書によると、その最期を察したかのやうに、寝たままで、妻のお信に口述筆記させるんです。それが、『夢酔独言』なんですね。

「母上、こんな譬を申しては、父上に蹴倒されるでしょうが、父上というお方は、世の中の人の悲しい事、困った事、淋しい事、そんなものを何んでもかでも自分からみんなお引受けなされて、それを御自分の駕へのせ、自分で担いで苦しんで駆けていらっしゃるようなお方なのですねえ」。「そう」。お信はうなずいた。「人の苦しみをのせた駕―それを担いで行かれるお方、申さばこの世の駕かきでした」。

勝麟太郎と小吉の妻の会話です。江戸っ子小吉、胸に沁みます。

 

今日の写真:江川英龍が建設した大砲製造のための反射炉とそのカノン砲の看板。

 

〈川野さんへの便り〉

こんばんは。なんだか寒いですね!? 

実は、みなさんに言ひにくいのですが、また心臓の不整脈が再発してしまつたやうなのです。たしかに、この5月、無理を積み重ねてしまつたのかなと思ひます。じわりじわりときたみたいなのです! また入院・手術になるかはわかりませんが、最悪の場合、中仙道のツアーを断念しなくてはならないかも知れません! それが一番悔しいし、とくに川野さんには申しわけなく思ひます。

20日の史策会までには、検査や診察の結果が出るので、はつきりすると思ひます。もしさうなつても、いづれは中仙道を完歩したいとは考へているんですが…? それはそれとして、史策会は続けたいと思ひます。今後ともよろしくお願ひいたします。ひげ

 

〈川野さんからの返信〉

術後の経過が思うようでは無いようですね。じっくり養生して、中仙道に戻ってください。碓氷峠越えには中村さんの執念に近いものを感じました。事前の数回にわたる自宅からのウオーキングはオーバーワークでないかと心配するぐらい、入れ込んでましたね。あの時点では、中村さんの碓氷峠越えは誰も思いとどめるさせることはできなかったでしょう。私も心臓が正常ではありませんが、峠越え時に万一のことがあれば、間に合わないであろうことは想定していました。無事に越えられたのは何よりと思っております。その後の経過が気になりますがゆっくり養生してください。川野

 

〈川野さんへの返信〉

いや、まことに面目ありません。まあ、気持ちは元気なので、具合さへよくなればいづれ復帰できると思ふのですが、今度は医者の言ふことに従つてしばらく養生したいと思ひます。でも、このやうな紆余曲折?も、ぼくの人生の「歴史紀行」そのものなので、寄り道を楽しんで歩んでいきたいと思つています。よろしくお願ひします。ひげ