五月卅日(金)辛丑(旧五月二日) 晴れ、むし暑い

井伏鱒二『珍品堂主人』(角川文庫)、骨董とその世界について教へられるところが多くありましたが、どうもあと味がよくありませんでした。それは、贋物をつかまされたり、賭け事をして負けたあとのやりきれなさに似てゐるかも知れません。

骨董を買つたり売つたりは素人には別世界のはなしですが、せめて、踊らされることなく、自分の目で気に入つたものを手に入れ、楽しみながら使ふことで満足したいと思ひます。

 

続いて、子母澤寛の『父子鷹』を読みはじめました。

はじめに、『勝海舟』を手に入れてはゐたんですが、その前に、この『父子鷹』と『おとこ鷹』があることを知り、それぞれ、新潮文庫で上下巻、『勝海舟』にいたつては全六冊ですから、いつ読みはじめたらよいか、ずつと思案してゐたのであります。本箱を眺めてゐて、もうそろそろ読んでもいいんではないか、といつた気持ちがわいてきましたので、臆することなく手に取り、読みだしました。

いや、面白いです。史実がどうのかうのといつた詮索は置いておくことにして、時代劇映画をみてゐるやうな、或は講談をきいてゐるやうな懐かしさを感じます。何よりも、文字(言葉)遣ひです。

「飛んだ事になって終ったのさ」、「仮初(かりそめ)にも」、「飽迄も」、「態(ざま)ァ見やがれ」、「失敗(しま)った」、「真逆(まさか)」、「前倒(つんのめ)りそうになった」、「対手(あいて)にせず」、「碌で無し」等々、異次元に引き込む力を秘めてゐますね。

本の帶には、「情実、賄賂横行する腐敗した幕府士官を捨てて、庶民と共に市井に生きた剣豪江戸っ子侍勝小吉とその子勝海舟の幼少時を描く傑作」とあります。

 

今日の写真:散歩から帰つてきてから、なかなか動悸がおさまらないラム。エアコン(除湿)を入れてあげたら、だいぶ落ち着いたやうです。そばで、ぼくも涼みながら本を読みました。