四月廿八日(月)己巳(旧三月廿九日) 晴れ

いよいよ、碓氷峠越えの目処がたちました。この三月と四月に、軽井沢宿から小田井宿までと、坂本宿から軽井沢宿まで歩かれた、《仙道会》(現在《史策会》と改名)の川野さんがガイドを買つて出てくださつたのです。もう、ただただ有り難くご好意に甘えるしかありません。ありがたうございます。

しかも、実際に歩かれた「コースタイム表」までつけてくださいました。それによると、やはり甘い考へではならんことを思ひ知らせられました。碓氷峠越えには六時間、軽井沢宿から小田井宿までは四時間半かかつたといふことなんです。もちろん、二回に分けて歩くつもりですが、だいぶ時間の余裕をとつて歩かなくてはならないと思ひました。

連休明けといつても、五月十一日は、例の“安政遠足(侍マラソン)”が開催される日なので、その数日後がいいのではないかと相談してゐるところであります。

ところで、もつと肩と頭の力をぬいてかからないといけないと思つて、小沢昭一オトウサンの『東海道ちんたら旅』を読みはじめましたが、これは面白過ぎて、肩の力も頭の力もぬけ過ぎて、参考にはならんと思ひました。まるごと「小沢昭一的こころ!」なんです。

いや、もちろん嫌ひではないんですよ。正直なところ好きなんです。けれども、これはまねのできない、「小沢昭一的こころ!」そのものなんですね。ただ楽しませていただきますです。はい。

 

来ました。ラフォーレ修善寺から、お仕事の依頼であります。五月と六月の予定表が届いたのであります。何度も言ふやうですが、これはぼくの社会との唯一の接点なんです。それを風邪ひきくらいで休んでしまつて、誠に申し訳なく思つてゐたところなので、胸をなでおろしました。え? 誰に申し訳ないかですか? もちろん我がいとしい妻にたいしてであります。お答になつてゐるでせうか? 

 

「ひげ日記」も、昨年十二月から始めてもう五か月にならうとしてゐます。ホーム画面から、そのすべてが瞬時に開いて読むことができます。ありがたいのやら、人迷惑なのやら、言ひたい放題、書き放題で、まことに世間騒がせだと反省してゐます。

でもね、みなさん、たまに読んでくださつてゐるか、それこそ忘れ去つてゐる方のはうがほとんどだと思ひ、安心はしてゐるのであります。もちろん例外もあります。ドイツ在住の三輪愛博くんなどは、毎日読んでくださつてゐて、先日などは、ますやの「鍋焼きうどん」の写真を見て、よだれをながしたとの、切実なるご報告がありました。

そんなわけで、ここでやめてしまひわけにはいきません。ただ、毎日の積み重ねが、積りに積もつていくものですから、はじめのひと月を、そろそろ削除して、今後、四か月の枠を維持しながら編集していきたいと思ふのですが、お許しいただけるでせうか。

いやいや、十二月の「しゅみくら日記」は捨てがたいと思はれる方が必ずやをられるはづです。ぼくも惜しいのですが、ここは、会ふは別れのはじまりで、涙をのむしかありません。では、制限時間は、四月卅日まで・・。

 

今日の写真‥散歩風景。