四月五日(土)丙午(旧三月六日・清明) 晴れ、風が肌寒い

おはようございます。夕べはぐつすり、よく眠りました。昨日の続きを記します。築地市場から浜離宮恩賜庭園に向つたところからでしたね。

ところで、その市場から青果市場の壁際にいくつか掲示板があつたので目を通してゐましたら、見過ごしにはできない文面に目が点になつてしまひました。

「一九五四年三月一日、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被爆した第五福龍丸から水揚げされた魚の一部(約二トン)が同月十六日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。

全国では八五〇隻余りの漁船から四六〇トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。

このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から一〇円募金で参加した大勢の子供たちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。

マグロ塚を作る会    一九九九年三月一日」

これを読んでゐて、ぼくは、結局ぼくらはこのやうな過去の事実を少しも学ばず、記憶にとどめてゐないんだなといふことに気がつきました! 

さて、それで、足取りも軽くといふわけにはいきませんが、やつと浜離宮恩賜庭園に到着しました。以下、「レシピ」を記します。

 

  1. 大手門橋を渡ります(目に飛び込んで来る石垣は、みなさまご存じの武者がえしです。番所あり。一般入園料三〇〇円、六十五才以上一五〇円。)【泉さんの粋な計らひで、ぼくら全員無料で入ることができました。いい手があつたんです?】

  2. 浜離宮恩賜庭園(庭園の拡充が進んだ将軍家の別邸。地面は中央区、運営は東京都です。)【恥ずかしながら、ぼくは、記憶によれば、初めて入園しました。しかも、今回、おそらくは何回も来られた方すらも決してそこまでは訪ね歩かないだらうと思はれるところまで、隅から隅まで歩き尽したと言つてよいでせう! 二時間、ほとんど休まずにたどつたのです。いや、それほど広大な庭園だといふことなんです。ですから、いちいち、どこをどう歩いたかなど記しません。素晴らしい庭園です。ただ、余計なお世話ですが、異性の方と同伴の訪問はやめたはうがいいです。それでは、決して、全体の十分の一も歩けないと思ひますです。はい。】

  3. 文化勲章受章 黒川紀章デザイン、我が国初のカプセルホテル中銀(何かが中でうごめいている。当時はなんだろうと思った。取り壊す噂です。)

  4. 芝口御門跡(新橋の北詰に置かれた枡形門の跡地。)【この辺りで、雨が降り始める】

  5. 三十間堀跡(十七世紀に開削されました。堀の幅が三十間(五五メートル)。後に十九間になつてしまいました。わずかななごりは三原橋下です。)

  6. 銀座の柳の碑(こんなものがあっても人は関心を示しません。)

  7. 金春屋敷跡(幕府直属の能役者の屋敷跡。江戸時代、金春・観世・宝生・金剛の四家の中でも金春屋敷は最古で、毎年八月七日には、金春通りで能が演じられます。つい先日、宗家が亡くなってしまいました。今年はどうなるかであ~る。午後四時からチケットが配られます。おまけ・・新橋芸者の置きや

  8. 交詢社(福沢諭吉大先生が創立しました。社交の場又だれでもが平等に学べるように。戦前は日本橋にありましたが、戦後銀座へ移転。外壁の一部が移築されています。)

  9. ライオンビアホール 七丁目(つい地元は六丁目。ま、どうでもよいとして、今年【四月十日】で創業八十周年だそうです。)【五時半に到着して、ここで“ハーフ”で乾杯。その前に、支配人から、創業以来のこと、現在の建物についてなどをお話していただきました。すべて泉センセのお計らひです。つづいてそれぞれ好きな物を注文しての食事。ただ、賑やかすぎて、ゆつくりお喋りができなかつたのが残念でした。しかも、散策はまだ終はつてはゐないのです! 外に出ると、幸ひ雨はやんでゐました】

  10. 服部時計店(通称「和光」、銀座のランドマークです。時計塔の歴史は一八九四年。建築様式はネオルネッサンスと呼ばれています。屋上の時計台はほぼ正確な方位です。)

 御木本(ミキモト)本店(中央通りの空間に大いなる意志があります。)

 銀座のエンジェル(とてもあいらしく みている みられているのです。)

 からくりモニュメント「悠久の翔」(色がやけてしまいました。複雑な動きをします。下の歯車を見学しましょう。一時半、三時半、五時半に作動。)

 三愛の猫(のんき・ごろべえ。現代の神社感覚で、あ・・うん、でしょうかね。)

 注一・・「森孫右衛門は徳川家康の江戸入府に伴って、現在の大阪市(西淀川区)から江戸に出て、将軍への白魚献上の御用を務めたといわれています。また隅田川の河口に佃島を築き、日本橋魚河岸のもととなる店を開いたとも伝えられています。佃島の語源は、森孫右衛門の出身地摂津国西成郡佃村からとされています。供養塔は孫右衛門の二百年遠忌にあたる文久元年に建立された。佃島で定置網でとらえた白魚を毎日献上箱に納めて江戸城へ運んだとされています。白魚献上箱は、タイムドーム明石に展示されています。【以下略】」

 

かうして、解散したのは、八時五分、三愛ビル前、つまり花の銀座四丁目角でありました。

以上、ぼくたちは、先回と同様に、先生に引率された幼稚園児のやうに、よちよちと付き従ふのが精一杯! 一つひとつの内容は濃いと思はれますが、表面をひと撫でしただけに終はつてしまつたのではないでせうか。でも、いつか役に立つ日まで、心に覚えておきたいと思ひました。

この「レシピ」を見ますと、お姉さま、事前に「実施踏査」されてゐるんです。「見上げたもんだよ屋根屋の褌!」ものですね。実は、今後、会員それぞれが、得意の分野や住んでゐるご近所等の史跡散策を計画してゐるんですが、かうも周到な準備がなされてしまふと、これはよい先例になるのか、わるい先例になるのか、判断に困るところがありますです。はい。

 

 今日は、朝から晩まで、昨日の《史策会》例会の復習をさせていただいた気分です。いい勉強をさせていただきました。次回も期待したいと思ひます。ただ一つ、乾杯と夕食は築地の“はじめ鮮魚店”さんで行ひたいとそのことだけ、泉お姉さまに深々と頭を下げ、念を入れてお願ひいたしました次第であります。おしまひ。

 

今日の写真:浜離宮恩賜庭園内各所。黒川紀章デザイン、我が国初のカプセルホテル中銀。ライオンビアホール。からくりモニュメント「悠久の翔」。銀座のエンジェル。訪ねたところをすべて載せられないのが残念です。