三月卅日(日)庚子(旧三月卅日) 雨、風強く、夜一時雷 

いやあ、星川清司著『入相の鐘』(文芸春秋)、面白かつた! 五章あるはじめの三章、つまり大田南畝については忍耐が必要だつたんですが、あとの、滝沢馬琴のところは特によかつた。大田南畝の章も滝沢馬琴の章も、主人公はそれぞれの息子なんですが、そこから語られるそれぞれの父親の存在といふか、個性の描き方がうまいと思ひました。

存在感のある大きい親をもつた子どもの気持ちがよくわかります。「父にとっておまえなんぞは取るにたらぬ存在なのだ。無用の者なのだ」と自分に言ひ聞かせなければならず、時には狂気に襲はれる南畝の息子の定吉、「くる日もくる日も、日毎夜毎に父のあさましいすがたばかりを見てきた。此世に生まれて・・父の慈しみというものをついぞ見たことがない」馬琴の息子宗伯。「おたがい、名のある文人を父にもった身の上で、・・ときどきは会って埒もなく咄がしたくなる」、さういふ付合ひをする二人のつながりから、当時の〈文芸世界〉が垣間見えるとこなんざあ、勉強になることこの上ありません。

大田南畝が最年長としますと、十ばかり年下に、山東京伝、十返舎一九、滝沢馬琴、さらに、式亭三馬が続きます。本書に出てくる人物でいふと、さらに、鶴屋南北、葛飾北斎、渡辺崋山までも登場するのです。同時代的にいへば、さらに、小林一茶と南畝が親しかつた大坂の上田秋成がゐますし、少しおくれて頼山陽もつづきます。それに、塙保己一は南畝とほとんど同時代を生き、南畝が亡くなる四年前には、例の『群書類従』(正編)が刊行もされてゐるんです。何か、時代の分厚さといふものを感じてしまひますね。

さて、お勉強はこのくらいにして、次の、馬琴の息子の宗伯の述懐に耳を傾けてみませう。 

 

宗伯には、どうしても好きになれない、おそろしさばかりが先に立つ父親だった。

それだのに、読本「南総里見八犬伝」のすばらしさ。

作者馬琴は、現身(うつしみ)の醜さなどやがて忘れ去られ、書き遺した作だけがいつまでも世にもてはやされるのだ。

なんといういやらしい幸せ。

 

う~ん、唸らされますね。芸術つてかういふものなんでせうか。

ところで、ぼくは、滝沢馬琴の息子の死に際して、渡辺崋山が登場したのには驚きました。「死の翌日のこと、宗伯の友人である崋山渡邊登が勤仕姿のままかけつけてきて、すでに入棺してあった柩の蓋をあけさせ、宗伯の死相を一刻もかけて精写した」とあります。

この本を読んでゐて、江戸時代の雰囲気が伝はつてくるやうでした。ますます、くづし字を身につけなければならんと自分に言ひ聞かせましたです。はい。

さうだ、そのくづし字ついでに報告しますと、先日たまたま手にした、『蜀山百首』といふ和本が、「蜀山人自筆 百首狂歌」だつたんです。もちろん、複製本でせうけれど、「大田南畝全集 第一巻」の中に、確かに、その翻刻されたものが入つてゐました。うれしいですね。もう、いつもたまたまなんですが、このたまたまに遭遇するためには、古本屋さん参りはもうぼくの生活の一部と言つても過言ではありませんのです。すみません。

 

今日の写真: 『入相の鐘』表紙。渡辺崋山筆『滝沢琴嶺(宗伯)肖像』。大田南畝『蜀山百首』表紙と、奥書。