三月廿九日(土)己亥(旧三月廿九日) 晴れ、暖かく、桜の花がいつせいに開く 

今日は静かに読書三昧。昨日一昨日と外出したので、さすがに動き回る元気なく、万年床(ベット)に横になつて読みふけりました。

星川清司著『小伝抄』です。はじめての作家です。裏表紙の説明によれば、「時は文政、巨匠鶴屋南北逝って日も浅い。深川の裏店に逼塞していた売れない狂言作家の許へ、顔見知りの船頭権八が小判を包んでやって来る。当節、男狂いで知らぬ者なしの浄瑠璃語り小伝の一代記をどうぞ書きとめて欲しいとの頼み。江戸のはやり言葉や語呂あわせ、多彩な語りを駆使して織りなす異色作。絶讃された直木賞作品」とあります。江戸つ子言葉が飛び交つてたしかに面白かつたです。

実は、これは、前に、大田南畝を知りたくて探してゐたところ、同じ著者の『入相の鐘』といふのがあると知つて、同時期にもとめた本だつたのです。ぼくは、癖なんでせうか、本丸をいきなり攻めるより先に、外堀を埋めていくことに気持ちが向いてしまふのです。例へば、出された食事のおかずを、ぼくは好きなものほど取つて置いて後で食べるんですが、しばしば、先に好きなものを食べてしまふ妻に先取りされることがあるんです。まあ、本の場合は先取りされることはありませんが、切迫感がないといふか、のろいといふのか、それで肝心の本丸に到達するのに遠回りしてしまふわけです。でも、言い訳ではありませんが、それで、直接攻めたのでは気づき得ない側面を知ること多々あり、けつこう本丸の裾野を広く捉へることができるんです。

もちろん、続いて、同じ著者の『入相(いりあひ)の鐘』を読むつもりです。その帯に曰、「伜よ、妻よ。幸せに暮せるのは、ほんのひととき。当世一の粋人と喝采された、大田南畝、とし六十八。冴えて沁みいる老いの寂しさを、見事にえがく名品である」。現在の歳のとりかたは、昔の七掛けといひますから、今日でいふと九十過ぎといふことになりますかね。心して、「沁みいる老いの寂しさ」とやらを味はつてみたいと思ひます。

ところで、『小伝抄』を読んでゐて、珍しい言ひ回しにいくつも出会ひましたが、とくに、「腎張り」と「和印(わじるし)」といふ言葉にはじめて出くはしました。どんな意味の言葉か辞書を開いてみましたが、思はず頬がゆるんでしまひました。

 

今日の写真:散歩中のラムと下り回送中のスカイライナー。千鶴幼稚園の桜。『小伝抄』表紙。