三月廿八日(金)戊戌(旧三月廿八日) 晴れ

またかと思はれるでせうが、「いい天気なので出かけたら」、といふ妻の声に促されて、散歩がてら、今日も神保町へ行つてしまひました。いへね、言ひ訳ではありませんが、今日から、春の古本まつりが開かれたからでもあります。歩道にワゴンが並べられて、さながら屋台村のやうです。まあ、買はなければいけないこともないわけで、ぶらぶら見て歩くだけでも、体力の維持と頭脳の活性化には役立つと思はれるのであります。はい。

今日は、「中仙道を歩く」旅の参考書、小野武雄編著『五街道風俗誌(上下)』(展望社)が掘り出しものでしたかね。それと、東京堂で、これは新本ですが、影印本の『元禄版 猿蓑』(新典社)を買ひもとめました。

 

さう、やつと、井本農一著『芭蕉=その人生と芸術』を読み終へることができたんです。いや、改めて、多少なりとも問題意識をもつて読んでみると、芭蕉さんてけつこう複雑ですね。旅に生き、旅に死んだ孤高の人といふイメージがありましたけれど、なんのなんの多くの門人を抱へた宗匠だつたんですね。また、その、全国に散らばつてゐる弟子たちとの関係も複雑さうで、ですからその「旅」は、生活の整理のためでもあり、また新境地を開くための〈脱皮〉でもあつたのだらうと思ひました。

ぼくは、今まで、芭蕉については、紀行しか関心がありませんでしたけれど、いやいや、眼中になかつた、『猿蓑』はじめ、『三冊子』、『去来抄』が眼中に飛び込んで来たのであります。ぼくは、そもそも散文的な人間で、和歌もしかり、俳句もしかり、作れないどころか読んでもよくわからんのです。はいはい。

でも、川柳はちよいとはわかります。八木敬一編『原本影印 誹風末摘花』が手に入つたので、寝る前に一句二句づつぼーつと読んでゐます。これがまたいいんです! ただ、これがどんな本かおわかりのかたは内証にしててくださいませ・・。

さて、反省と、修練をかねて、少しは食はず嫌ひの現状から脱皮せにやならんと思ひいたりまして、はじめから高等な「俳論書」を手にとつたわけなんですが、すばらしいですよ。『猿蓑』(一六九一年)は後人から俳諧集の規範と仰がれ、『三冊子』(一七〇二年)は芭蕉俳諧の神髄、修練の方法など芭蕉晩年の主張を伝へ、『去来抄』(一七〇二~〇四年)は、「不易流行」や「かるみ」「さび」などの研究には欠かせない俳論書なんです。どうです。

 どうせ読むなら、もちろん影印本で読みたいと、この手の新本は必ず置いてある東京堂へお参り、でない、お訪ねしたいこともあつて、今日の神保町の散歩になつたのであります。あまりにも回りくどい言ひ訳ですみません。

 

帰宅してから、夜の散歩道にあたる、千鶴幼稚園まで行つてみました。昨夜、咲きはじめた桜の花を確認するためです。いつも夜に通るので、つぼみの様子さへさだかではなかつたのですが、突然つぼみが破裂したやうに、あちこちに花をつけはじめたのです。千鶴幼稚園の桜はこの辺では見事で、季節になると、生前の父とよくやつてきたものでした。

 

今日の写真:千鶴幼稚園、今日の桜と、二〇一二年四月の桜模様。

俳諧三部作の影印本と、『原本影印 誹風末摘花』冒頭の挿絵と『定本翻刻 誹風末摘花』。