三月廿四日(月)甲午(旧三月廿四日・下弦) 晴れ

今日は、横になつて、井本農一著『芭蕉=その人生と芸術』(講談社現代新書)を読みました。芭蕉の紀行文をすべてはじめから読み通そうといふんですから、芭蕉の生涯を調べておくことは必要だらうと思つたからです。二十年前に、同じ著者の『芭蕉入門』を読んでゐるんですが、単発的に読んだので、まつたく記憶に残つてゐないんです。

しかも、今回は、影印本で読もうと決意したのですが、いやはや、はじめから無知をさらけ出してしまひました。廿二日の「日記」で、『天理図書館 善本叢書 芭蕉紀行文集』の目次に、『更科紀行』が見あたらなかつたので、「『更科紀行』については、影印本が手に入れば読むことにします。」なんて書いてしまひましたが、『更科紀行』は、実は、『笈の小文』の中に含まれてゐたんです。『笈の小文』の付録として出版されたんですね。確認したら、確かに、天理図書館本にも入つてゐました。

まつたく別の作品だと思つてゐました。だつて、現在のどの本を見ても、『更科紀行』は、その目次に、一つの作品として書き出されてゐますから、疑つてもみなかつたのです。「原文」を見なければわからなかつたことですね。

そこで、改めて、『更科紀行』について、『精選版 日本国語大辞典』を見てみますと、「江戸前期の俳諧紀行文。松尾芭蕉著。元禄元年~二年(一六八八~八九)成立。宝永六年(一七〇九)『笈の小文』の付録として刊行。『笈の小文』の旅の続きで、元禄元年、名古屋から木曾路を経て更科の姨捨山の月見をし、善光寺に参詣し、碓氷峠を経て江戸に帰った旅の、旅立ちの動機から途中の情景、経験、感想などを記した短編。」とあります。「中仙道を歩く」にも関連がありさうですが、まあ、これは、しばらく後に読むことになるでせう。

さて、読みはじめた、『野ざらし紀行』は、貞享元年(一六八四年)、芭蕉四十一歳の時の旅をもとにした「芭蕉の最初の紀行作品」ですが(貞享二年成立)、数種の芭蕉真蹟本・写本・版本があることがわかりました。ぼくが読みはじめたのは芭蕉直筆の天理本ですが、岩波文庫は同じく直筆の藤田本、角川文庫、旺文社文庫等は版本の泊船本を底本としてゐます。といつても、天理本以外、手もとにあるものはすべて翻刻本です。

なかなか読み進まないのは、使はれてゐる漢字はもとより、変体仮名が独特だからなんです。芭蕉さんの筆蹟、『くずし字用例辞典』を開いても、首をかしげるやうな筆づかいです。翻刻と見比べながら一字いちじ、できるだけ覚えながら読んでいくしかありません。いつか、文字が気にならないで読めるやうになる時が来ることを、期待して・・。 

それにしても、今まで、ぼくは、あれこれ日本の古典を読んできましたが、今回のことで、いかに文字面(もじづら)だけを追つてゐたかといふことに気づかされました。今さらながらですが、読むといふことにも修練が必要といふ事なんでせう。

 

今日の写真:『野ざらし紀行』と『更科紀行』の冒頭。それと、机を不法占拠中のラム。