三月十七日(月)丁亥(旧三月十七日・望) 晴れ

『殿山泰司のしゃべくり105日』を読み終へました。余韻がブンブンかビンビンか、頭のなかをこだましてゐます。そこで、〈タイちやん名言集〉の続きを・・。

「それで食ってる職業軍人ならいざ知らず、ミリタリズムとはエンもユカリもない徴兵された下級兵士にとっては、日本軍隊は言語につくしがたい苛酷な地獄のような世界であった。おれは追憶しただけでも激怒のあまりヘドが出る。毎度のことだけど、大日本帝国の糞ったれ 国家なんか死ねッ と叫びたくなるのだ。」

「オレは陸軍とか海軍とか、そんなものはこの地球上から、みんな無くなればいいと思っておりますハイ。オレは非国民ですかね。」

「オレがジャズに心ひかれるのは、タンカンに一言でいえば、そこには国境がないからです。」

「男は誠実、女は身だしなみ。それだけですハイ。」

「ドコのダレが戦争をしたがっているのか? ―オレではありません。もっとエラーイ人たちです。ですからエラーイ人たちがいなければ、戦争なんてアホなものは存在しない、というタンカンな算術になっておりますハイ。」

「三文役者の行く末は野垂れ死にとか、待ってるのは餓死だけだとか、いつもえらそうなことをいってるけど、ホントのことをいうとね、オレ、万年床でごろごろして、円満に人生を終わりたいと思ってんだ・・。」

かう言ひながら、タイチャン、一九八九年(平成元年)四月三十日に七十三歳で亡くなられました。ぼくが言ふのはまことに烏滸がましいのですが、タイチャンの素晴らしいとこは、徒党を組まなかつたこと、そして、決して人を利用しようとはしなかつたことです。はい。

 

ところで、ぼくは、手に入れた順に今まで読んできましたけれど、ここで、もう一度、はじめからタイちやんを読んでみたいと思ひます。それも、出版順ではなく、タイチャンの執筆順で読んでみたいのであります。タイちやんの遺した本は十一点とさう多くはありませんが、その第一冊めとなりますのが、『三文役者の無責任放言録』です。その解説を書いてゐる、タイちやん本出版の先駆けといふか、そのきかつけを作つた三一書房の井家上隆幸さんの言葉を引用します(角川文庫版にもありますが、ちくま文庫版のはうの文章です)。

「お洒落で恥ずかしがり屋で、生真面目で、粋で、やさしく、一見達観しているようでいて心中に怒りをいだき、だれがなんといおうとオレはこう生きるといいきる殿山さんと、その文章は、「良心の自由」とはなにかをぼくたちに指し示して刺激的である。殿山さんの文章はいまも現在的であり生きているのだ。ぼくもまた殿山さんのように〈あなあきい〉に、自由人になりたいのだが、さて、その希みはかなうだろうか。」 いやァ、異議なし! 同感!

 

今日は月曜日、なんだか気分はすぐれませんでしたが、弓道場へお稽古に出かけました。中辻先生はじめ、齋藤さんと茂木さんはすでにお稽古をはじめてをられました。ところが、先生、その途中で、ぼくに近より、あげたいものがあるんですよと、いつものやうにニコニコしながら、なんと矢を差し出すんです。「竹矢」を四本、ぼくにくれるといふのです。竹ですよ。山野に生育してゐるあの竹(矢竹)で作られた矢です。節(ふし)があるんですよ。あたりまへですね。ぼくなんかいつも垂涎の眼でながめていただけの竹矢をくださるとは、かたじけなく、ありがたく、もう憂さも吹き飛んでしまひました。ただ、矢筈の溝と弦が合はないので、中仕掛け調整のために、使ふのは次回におあづけとしました。ハハハ。

 

今日の写真:タイちやん本の挿絵。弓道場入口といただいた竹矢。そしてけふのラム。