十二月三十日(月)庚午(旧十一月二十八日) 晴れ

  今朝も葛飾FMの心地よい音楽によつて目覚めることができました。「黒い花びら」でせう、それに、「柔」、「真夜中のギター」、「いつまでも友達でいよう」、「出船」、それに「岬めぐり」等々です。続く〈親子で楽しむ論語の時間〉は、「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫(しぼ)むに後(おく)るることを知る」(子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也)。これ、魚返センセの訳では「寒さがきて、ようやく松やヒノキの根づよさがわかるね」。或いは、「人も危難の時にはじめて真価が分かる」、このはうは、金谷治先生(岩波文庫)の意訳です。それにしても、すでに言ひ尽くされて来た言葉だと思ふんですけれど、改めて読むと、やはり胸に沁みますね。

もう暮れなんですね。三人と一匹の我が家ですら、何かとあわただしいのです。でも、そこが正念場です。時流に流されずに、自流を貫かなければなりません。

そこで、午前中は、昨日習ひ覚えたばかりの技を発揮して、十二月はじめから書き溜めた「日記」を、ワード文書から、新たに改名したブログの「ひげ日記」にコピーをいたしました。つまり、これまでは、横書きだつた「しゅみくら日記」を、ワード文書として縦書きに直してゐたのですが、今日の作業はその逆に、出来上がつてゐた縦書きワード版の「日記」を、横書きブログの「ひげ日記」にコピーしなほしたと、かういふわけなのであります。きつと、ほかから見たらばかなことしてゐるなと思はれるかも知れません。しかし、このやうに、一つひとつ階段を上る足跡を記録しておくのも、決して無駄ではないと思ふのであります。まあ、今まで、さうして独学の道を試行錯誤してきたわけでありまして、これはこのパソコンのことばかりではないのです。

それでも、やはり、「なんで手伝へないの」といふ声が聞こえてきさうになりましたので、あれこれ家の中をうろついて、お茶を濁すのに成功いたしました。ラムの散歩もその一つで、厚着をして外にでました。いつも、京成電車わきの駐車場に行つて、まづオシッコをさせます。ありがたいことに、このあたりには、まだ砂利を敷いた駐車場がいくつもあるんです。

さう、思ひ起せば、東京に来て、何がたいへんだつたかといへば、なによりもラムのオシッコとウンチでした。山にゐるときは、心配したことがありませんでした。自由に藪の中に入り込んでしてゐましたから、その間待つてゐればよかつたのです。時には、何か獲物をみつけて追いかけて行つたこともありましたが・・。東京について、ラムがウンチしたのは、忘れもしない、三日後でした。

今日はとくに、ゆつくり時間をかけて、一緒に歩いてあげました。よたよたするわりには、クンクンあちこち嗅ぎまはるのはマメなんです。妻なんぞは、その姿を見て、ぼくの古本屋めぐりと同じぢやあないの、とかうですよ。まあ、どんなに具合わるくても、クンクン訪ねまはるのはぼくの習性みたいなものですから、反論の仕様はありませんでした。

また、不味いことがありました。夕食の時です、ぼくは、何の気なしに、「今年は、中仙道に始まり、中仙道で暮れた一年だつたな」と言つたのです。すると、母が、すかさず、「お母さんはね、歌で始まり、歌で終はつた一年でした」と引き継ぎ、さらに、妻が、「私は、ラムの散歩に始まり、ラムの散歩で終はりました」と、これは最大級の当てつけ以外のなにものでもありません。思はず目をそらしてしまひました。

残り、わづか一日。どのやうに過ごしたら、この一年の汚名を回復できるでせうか?

今日の写真:すべて、今日の散歩風景です。