十二月二十一日(土) 晴れ

 昨日は、あちこち動き過ぎてしまひました。いつもさうですが、動いた次の日は休むことにしてゐます。休むといつても、ほんとうにベッドの中で寝るといふことです。最近とくに、休まないと体調がなかなかもどらないのです。こんなこと妻に聞こえたら、「若いころからさうだつたぢやないの」と言はれさうですが、持病のある老いた身、勘弁してもらつてゐます。

 ただ、横になつても本は手放しません。寝たければ寝ますが、けふだつて、古文書の本をベッドの脇の壁にぶらさげて、目を開ければ、のたくつた古文書の墨字が飛び込んでくるやうにしてあるのです。右を向けば古文書の本(今は『古文書はこんなに面白い』)、左を向けばくづし字の本(今は『撰集鈔』)。ぼくなんか、かうでもしないと、探偵小説や時代小説に傾斜しがちなんです。伊豆の山暮しを思ひ起こせば、このやうに、もつと勉強しておけばよかつたと残念でしかたありませんのです。はい。

それでも、けふは、昼からは起きて、パソコンに向かひました。「中仙道を歩く十一」の執筆です。板鼻宿本陣の皇女和宮さんについて書き上げ、続いて、その宿の旅籠についてです。ここもたくさんの飯盛女をかかへての営業だつたのですが、それには旅籠の主たちの執拗な飯盛女増員要求がなされてゐたことが、『安中宿本陣文書』に載せられてゐるのです。名君とうたはれた君主も、たうとうその要求を呑まざるを得なかつたやうなのです・・。

 

《伊豆の山暮し》その七

廃屋といふか、廃墟同然だつた古民家(持ち主の先代の隠居所だつたらしい)を気に入つた理由はいくつもありますが、その最大にひとつは、家の脇に谷川があつたことです。ぼくのあこがれの生活の原点ですね。水を確保する。自給自足の第一歩だと思つてゐたのです。

ところがです。その谷川は、大雨が降つた場合に、水脈から溢れ出た水であつて、日ごろの雨では流れないことがあとでわかつたのです。下見の日には、たまたま溢れ流れてゐただけのやうなのですね。 それからです、山の湧き水を探し出し、それを引いてくる大冒険がはじまつたのは。

 

今日の写真:谷川に橋を架けたころの山の家と珍しい雪景色。(前ページ、左二枚)。それと、何日か前の散歩風景。京成スカイライナー通過をを背景に。