十二月廿日(金) 朝晩曇り、日中雨

 今日は、我が心臓のエコー検査を受けました。ぼくが十歳の頃から通つてゐる、東京慈恵大学病院です。

 そもそも、大動脈弁閉鎖不全症といふ病名を与へられてから、三十歳で弁の置換手術を受けるまでは、ぼくにとつてぼく自身が十字架でした。何をするにも、まづ心臓に聞かなければなりませんでした。だから、手術を受けて、機能が八パーセントにしろ回復したときには、ぼくは自由になつたんだと心の底から思ひましたね。ICUで三日間、地獄だか天国だかにさ迷つてよみがへつた時、イエス・キリストではないけれど、ぼくにとつて新しい人生がはじまつたのです。

 医学の進歩、携はつてくださつた先生がたと看護婦さんたちは、ぼくにとつてほんとうに恩人です。かう言つてはなんですが、だからぼくは入院生活を心から楽しみました。みな不思議な顔をするんですが、朝から、「中村さん、ご気分はいかが?」と、若い看護婦さんたちが日替はりで訪ねてくれて、手をにぎつてくれるんですよ。こんなところ、天国以外のどこにありますでせうか?

 いや、ちよつと、話が脱線しました。今日の検査は、先回の定例の通院の時に、「最近時々不整脈が起きるんです」と訴へたので、それに応じてくださつたものでした。エコー検査を受けた方がをられるでせうか。心電図検査と違つて、より薄暗い空間の中で行はれるのです。そのベッドの上に、上半身裸になつて横たはります。すると、若い女性の検査技師が、ベッドに腰をあづけ、ぼくの体に身をよせて、手をのばし、ぼくの裸の胸をまさぐるのであります。人一倍倫理観の強いぼくでも、緊張を強いられます。これでは、何の検査なのか、心臓なのか、ぼくの倫理観なのか、約四十分のあひだ本当に悩んでしまひました。

 そんな妄想にとらはれながらも、ぼくは、どうにか病院を出て、神保町に向かひました。金土は、古書会館で古書即売展が開かれるのです。けふは「新興展」です。おもに国文学関係の書籍です。『紫式部日記』『徒然草』『三冊子』などの影印本と中世の古文書集などが見つかりました。最近は、同じ読むなら、影印本でと決めてゐます。早速求めた『徒然草』八段によれば、「久米の仙人のものあらふ女のはきのしろきをみて通をうしなひけん:」と、仙人が「通」を失つたのは、「女の脛(はぎ)のしろき」を見たためでした。仙人、うぶだつたんですね。だつて、毎日「女の腿(もも)のふとき」を見せつけられてどうにか耐へてゐられるなんて、ぼくたちもまんざらではないことを痛感いたします。

 時間つぶしに、初めて渋谷のヒカリエを訪ねてみました。もと、東急文化会館があつたところです。子どものころプラネタリウムを見に来た覚えがあります。が、今や、何んと言ふ匂ひでせう。甘いお菓子の匂ひと、女性の化粧の匂ひで充満してゐました。早々に出て、次は東急ハンズに行きました。ここも久しぶりです。地下1Cに直行し、そこでぼくは、ちよつと贅沢ですが、カナヅチの頭を買ひました。文鎮にするためです。これ以上いい文鎮はないと思ふのです。もちろん名のある工匠の作品です。

 さあ、やつと時間になりました。さう、「仙道会」の会食です。五時二〇分、ハチ公前に集合。もう、仙人になつたやうなぼくたちですから、「腿のふとき」も気にせずに突進、入つた店は、九州だんだん。そのもつ鍋をかこみながら、甲斐さん、大塚さん、川野さんとまづは乾杯! 一緒に中仙道を歩いてゐる御同輩たちです。

 出る話は、当然「歴史」です。詳しい大塚さんの言ふことに相槌をうちながら、国家は軽ければ軽いほどいい、山本五十六の最期は自殺のやうなものだつた、早く降伏すればすんだものを、死ななくてもいい戦争で優秀な人物がたくさん死んだこと、人命を軽視してやまない政権と企業のやりかたは、かつての軍部と同じで、日雇ひや派遣でくたくたの若者たちを狙つて、徴兵をもくろんでゐること、「戦争が希望だ!」などど若者を駆り立てるやからがすでにゐるといふこと、金融や株で儲けることがもてはやされてゐるが、それは博奕(ばくち)であること、そうではなく、働く人間が尊ばれるやうな当り前な社会にしなければならないこと、福島では、今なほチャイナシンドロームが起こつてゐるのに、汚染水騒ぎで隠蔽してゐること、今、『東京新聞』が一番まともであること、等々、あ~、もう熱くなつて喋りまくりました。仙人のわりには生臭い話ばかりで盛り上がつてしまひましたね。

 

今日の写真:右上、エコー検査室前。その左と下、古書会館と美味しくてバカにできない小諸そば(鴨南そばは絶品!)と古書店街。左下、ヒカリエ最上階から見た渋谷道玄坂方面、真下には銀座線。次ページは、賑はふ街頭と、ハチ公前。それに、「仙道会」会食写真です。右から、甲斐さん、大塚さん、ぼく、川野さん。