十二月十八日(水) 曇天、夕方から雨
 今日は朝からビックリ。母が、朝食のとき、いきなり「わたしね、デートしたことあるのよ」といふのであります。「ひゃー、いつどこでよ」と、妻とぼくは、顔を見合はせると同時に口にしました。「倉賀野の駅のベンチでね、何話したかわすれたけど、八幡原の人で、評判よくない人で、好きとかなんとかぢやなくね・・」なんて、ぼくと妻は、思はずのりだしてしまひました。もちろん、戦前の話。娘時代の思ひ出のやうなのです。これが、九十歳になつた人の言葉かと思ふとビックリです。きつと父にも話したことはなかつたのだらうなと思ひました。

でもゆつくり聞いてもゐられません。今日も、理解ある妻に綾瀬駅まで送つてもらひ、アキバに急行です。大きな店は敬遠し、あれこれ覘いたあげく、ツクモパソコン本店に入りました。そこのお兄さん、親切に教へてくれて、ぼくの希望に沿ふとと言つて、「御見積書」を書いてくれたのです。ウインドウズ7、既製品ではないけれど、部品を合はせるかたちならまだあるといふことなんです。有難いことと感謝しましたけれど、どうも予算を越えてしまふのです。持ち合はせがありません。かういふときは、少し熱を冷ますことが大事ですので、また出直すことにしました。

さあ、間に合ふでせうか。銀座四丁目角で藤巻隆敏さんと待ち合はせなのです。末広町駅から銀座駅まで、約束の一二時前にはどうにか到着。すでに来てゐた藤巻さんと、およそ二年ぶりに会ふことができました。藤巻さんに、学生時代によく連れていつてもらつた「天龍」は、いつでも行けるからとやめて、目の前の、創業一四四年といふ木村家の二階、カフェ木村家で美味しいサンドウィッチをいただきながら、談笑にふけりました。

男二人、かういふ時はどうしたらいいでせう。ちよつと出ようかと、歩きはじめました。数寄屋橋では、すごい行列。何事かとよく見ると、「億の細道」なんてあります。宝くじを求める人々の群れでありました。不思議なのは、みな同じやうな顔つきをしてゐるのですよね。一種の宗教なんでせうか?

バカにしたわけではありません。もつとバカにしたい人々がゐます。お濠端に出、向かふ先には厳しい建物群と、それを守らうとする人々の群れです。桜田門から、顔をそむけるやうにして入城し、二重橋前では二人して写真を撮りました。マレーシアから来たといふ家族の記念写真も撮つてあげました。

しかし、ぼくたちの本当に訪ねたかつたのは、平将門の首塚でした。大手町の交差点から少し入つたところにありました。ひつそりとしてゐました。サラリーマン風の方が、首塚に額づいてゐる姿を見た時、ぼくはゾクッときてしまひました。いや、反権力を秘めた闘士ここにあり、と感じたのであります。憲法改悪をもくろみ、徴兵制を布きたくてうずうずしてゐるやからも、民衆の本当の力を見てびつくりするだらう! そんな時がくることの思ひを秘めて、ここで藤巻さんとは別れ、ぼくはさらに、芝の増上寺に向かひました。

皇女和宮さんの像に一目会ひたいと思つてゐたのです。すぐわかりましたが、なんとなく寂しかつたです。かういふかたちで置かれて、さぞ寂しいだらうなと感じてしまつたのです。京の都から、中仙道をたどり、やつてきた江戸大奥は決して居心地のよいところではなかつたはづです。家茂さんと仲がよく過ごされたことだけが、救ひだつたやうな気がしてなりません。ただ、お二人の並んだお墓を見ることはできませんでした。

 

今日の写真:億の細道。二重橋前にて。将門の首塚。皇女和宮さん像。