十二月十五日(日) 晴れ

 昨夜は、「双子座流星群」のやうでした。やうでした、といふのは、寝る前の歯磨きの間、ベランダに出て、体が震えてくるのを我慢しながら空を見上げてゐたのでしたが、たうとう一つも見ることができなかつたからです。ただ、久しぶりにオリオン座をはつきり見ることができました。

これは、《伊豆の山暮し》の中で書かうと考へてゐたのですが、この際、記しておかうと思ひます。それは、二〇〇一年十一月十九日のこと、「獅子座流星群」を目の当たりにしたことです。そのときには、すでにラムもそばにゐて、一晩中空を見上げることを覚悟して臨んだのでした。

まづ、焚火をたき、それも、念を入れて、太さ一抱へもある榎と椎の木を二、三本組み合はせ、とろとろと炎も煙も出さない準備をして、山の斜面に寝転んだのです。ラムもとなりでうとうと。至福のときが過ぎていきました。

それは、日にちを越えた、一二時四七分でした。まづ一筋。そして次々に、雨あられのごとく降りそそぐ流星の圧倒的な美しさに、ただ茫然! 明け方の四時までに、その数、四九二個。いやあ、ぼくの人生、捨てたもんぢやないと思ひました。

エッ、どうやつて数へたかですか。それは、大きめの画用紙を持つてゐて、五つ飛んだら「〇」一つを記すやうにしたのです。それを見ると、午前三時頃が一番多く、五十四の〇が書かれてゐます。といふことは二七〇個です。一時間で。

その多くは、スーと、消えていくのですが、中には、途中で花火のやうに飛び散るのもありました。

実は、その三年前の、一九九八年十一月十八日にも、「獅子座流星群」があつたのですが、そのときは、六九個でした。それでもすごいのですが、四九二個のあとでは、忘れてゐました。しかし、六九個のときには、明け方五時三〇分に流星は終了したのですが、その十分前に、東の山の端から昇つてきた、月の異様な美しさに感動したものでした。月齢二九、「老月」といふらしいのです。ついでにいへば、人工衛星も四個確認できました。

このやうに、伊豆の空は実に澄んでゐて美しかつた! できれば、もう一度帰りたい。でも、妻と母には、あれは(伊豆の山暮しのことです)、夢だつたの、とそれは何度も何度も言はれつづけ、今では、そうかやはり夢だつたのかなあ、と思ひかかつてゐたのです。いや、やはり現実だつたのだと再確認のために、かうして《伊豆の山暮し》を書きはじめたのであります。

 

 今日の写真:オリオン座と月を写す(リコーのGRデジタルにて。さう、流星群のときには、まだデジカメがなかつたのです)。それと、昨日のラムの昼寝姿です。