十二月九日(月) 曇り

 朝、寝覚めが悪かつた。思ひ起こせば、どうも先日の日記の記録に、勇み足があつたやうなのであります。一昨日の土曜日の日記に、「いくいく会」の追加の記述をした際、司馬遼太郎云々のところ、誤解されないやうに補足しなければなりません。それは、森さんが酔つた勢ひで言つたことで、ぼくもまた酔ひにまかせてまともに応へてしまつたのでした。決して他意はないことを記しておかなければなりません。これで、寝覚めがよくなればいいのですが・・。

だからではないのですが、今日は、久しぶりに弓道場へ出かけました。心の内が動揺してゐるときには、形に心を沿はせるのが一番。さういへば、初めての審査の時に提出したレポートが思ひ浮びました。自戒と確認のために記します。題は「あなたは弓道を通してどんなことを身につけたいと思いますか」といふものでした。

「私と弓道との出会ひは必然的なものでした。弓道教室に通ひはじめた時、親しい人から、『こんどは外からせめるわけ?』と問はれ、はたと気がつきました。これまで、私はひとなみに勉強し、自分の人生をかたちあるものとしてとらへ、できれば納得のいく生涯を遂げたいと考へてゐました。しかし、柔かい蒟蒻のやうでとりとめがありませんでした。そこに弓道が向ふからやつてきてくれたのです。

弓道場ではじめて弓と矢を手にした時、これは「作法」だなと合点がいきました。かたちです。今までの自分に欠けてゐたことでした。あるべきかたちにととのへられていけば必ず的中する。そのかたちの修練が、自分の人生のかたち作りと重なりあふのではないかと思ひはじめてきたところです。

今まで『将門記』『保元』『平治』『平家』など読んできましたが、すべてに活躍するのが弓箭です。『日本書紀』の捕鳥部萬の奮戦には感動しました。公家や武家では射礼が習はしでした。今、自分が日本といふ歴史のその一端に立つことが許されてゐるといふことさへ感じます。これから、この日本人としての生き方、その矜持といふものを、弓道を通して、わづかでも身につけていけたらと心から願つてゐます。」(原文の漢字は正字です)

いや、これは、伊豆の道場に通つてゐた、二〇〇九年の十月に書いたものですが、背伸びしてゐますね! 今読むと恥ずかしいです。もちろん今の自分がです。それ以来「万年初段」を貫いてゐるわけですが、もう言ひ訳に過ぎないことがさらに恥ずかしいです。それで、今日の的中は? 心の内が暴かれるやうで口が裂けても言へませんです。はい。

ところで、ぼくは、からだに自信がなかつたので、還暦を過ぎるまで、スポーツをしたことがありませんでした。木登りや薪割り、田植ゑや稲刈りもスポーツとゐへるかも知れませんが、やはり自分と戦ふスポーツは、人をいい顔にしますよね。また、ラムの事が書けません。

 

 今日の写真:弓道のお稽古の風景。階段で食事を待つラム。それに、ニンジン、キャベツ、オカラ、鳥のささ身を混ぜたご飯にちよびつとのドッグフードの入つた食事を食べる姿です。