十二月八日(日)戊申 晴れ

 昨夜も遅かつたのに、今朝は、六時に目が覚めてしまひました。トイレに行き、再びベッドにもぐりこんだとたん、さうだ日曜日だと気づき、イヤホーンを耳に、NHK第二放送にプッシュ。もうはじまつてゐましたが、すぐにその八百年もの昔の世界に心は飛びました。「古典講読 『平家物語』その魅力ある人物にせまる」、その第三十六回「六代」の場面であります。加賀美幸子アナウンサーの朗読にうつとり、また櫻井陽子先生の解説がいいのです。解説といふと、流れを中断してしまひがちだけれども、陽子センセの話とその声には聞き惚れてしまひました。

いや、昨日は、テレビの能天気なことに腹を立ててしまひましたが、ラヂオ、特にこの古典講読は絶品! もう、いいものを自分で探し、選択する以外ないのであります。それは、同時に、自分の人生を選択することでもあると思ふのですよね。それを寝坊してしまひ、トイレに起きなければ聞けなかつたなんて、恥ずかしくて人には話せません。ぼくの人生も高が知れたもんだと、反省です。

それはさうと、「中仙道を歩く」の十一回目、板鼻宿から松井田宿までの旅が、十二日(木)に迫りました。そろそろ準備にとりかからなくてはなりません。なにがテーマとなるのか、だいたいの見通しをたてなければ、現地を訪ねたときの心と目の焦点が定まらないのであります。

 

《伊豆の山暮らし》その一

生まれも育ちも東京葛飾のぼくが、どうして伊豆の山の中で、半分、いや三分の一自給生活を始めるやうになつたのか、話せば長いことになります。ごく短く申せば、それは、愛犬となつたお嬢ラムと出会ふための定められた「お導き」だつたのです。

そうでせう、誰だつて、あとで考へたら、あれは、「お導き」だつたのだとしかいへないやうな出会ひがあつたはづなんです。ぼくにとつては、まづ、妻がさうでしたし、いやそれ以上に、ラムとの出会ひはぼくの人生、といふか、生活を変へてしまつたのです。(・・つづく)

 

今日の写真:山道でさくらんぼを食べるラム。「中仙道を歩く」準備表。今日のラム。